競馬というものは、本質的に「興行」である。
つまり、ファンが見たいレース、面白がれるレースを提供するのがJ○A、ひいては現場関係者の義務であるはずだ。
しかしながら、現実の競馬は見事なまでの「ファン不在」。
関係者の都合が反映されたレースばかりがまかり通っているのである。
その典型的な例が、一昨年の有馬記念だ。

有馬記念というレースには、「実力日本一決定戦」という側面があり、多くのファンもそれを望んでいる。しかし、現実は関係者の都合や思惑によって、決してそうはならないのが最近の傾向なのだ。まず、一番に挙げられるのは、年度代表馬の座を射止めたウオッカの回避であろう。しかもこの馬、ファン投票1位なのである。昭和の競馬であれば、骨折などの明らかな故障がなければ、少々無理をしてでも出てくるのが普通だった。しかし、国内最高賞金を誇るJCを最大目標にしたウオッカの場合、有馬まで出たのでは、「お疲れモード」のため、宿敵ダイワスカーレットに食われてしまう可能性大。だから、有馬をアッサリ袖にしたのである。
仮にウオッカが好調を保っていたとしても、「天皇賞をもらったんだから、有馬はダイワに」という厩舎社会ならではの理屈が働くまでのことでしかない。
しかも、松田国=角居ラインは師弟関係なのだからなおさらだ。
また、3歳チャンピオンのディープスカイも、「右回りは苦手」ということで有馬を回避し、菊花賞馬オウケンブルースリも、「JCまで頑張ったんだからお役御免」とばかりに逃げ出している。

一方、出走してきたダイワスカーレット、マツリダゴッホはどうか?
ダイワの場合、有馬狙いがミエミエだったのだが、JCを使わなかったのには、「脚質的に直線の長い東京は不利、しかも本質的に2000前後の馬」ということで、天皇賞に続いてウオッカに負けるのを嫌ったという面もある。
マツリダのほうは、オールカマーを使ったのに、なんと天皇賞をスルーした上、苦手の左回り(JC)を叩き台にして有馬参戦という、頂点級の馬とは思えない姑息なローテーションときた。

そんな関係者の思惑や都合によって興醒めした有馬記念を待っていたのが、競馬ブーム以降最低という売り上げ額だったのは言うまでもない。

そういった状況は、競馬そのもの存在価値にかかわる大問題なのだが、関係者にとってはまさに「そんなの関係ねぇ」状態。年明けた09年はもちろん今年も、自分たちの利害で競馬が動いてゆくのは間違いない。

関係者も関係者なら、J○Aの姿勢も噴飯ものだ。
お役所J○Aにとって、一番大事なのは「売り上げ」でしかなく、そのためなら何でもやる。
それを如実に反映したのが、ここ十年来の重賞乱立、GT乱立だ。「注目を集める大レースになればなるほど馬券が売れる」と信じているJ○Aは、本来的な意味や価値のない重賞・GTを濫造してきたのだが、それが厩舎関係者の「ヤリヤラズ」を助長する結果になってしまったから皮肉だ。
高額賞金のレースが増えたことは、「持ち回り」の論理で動く厩舎社会の格好のエサでしかなく「今回は俺がもらうから、ここはあんたが引いてくれ」といったケースがこれまで以上に頻発するようになったのだ。

さらには、出走頭数の問題もある。
頭数が多いほうが荒れる可能性が高くなる」という理屈から、とにかくレースの頭数をキープするため、J○Aは関係者に出走を促す。
それを受けるか受けないかはケースバイケースだが、そんなやり取りが横行すると、主催者と厩舎関係者の間に「貸し借り」が出来るのは必定。
結果、それがレースに反映されることがでてくるわけだから、「真っ当な予想」で馬券を買うファンからすればたまったものではない。

このように、現在の競馬はJ○Aと厩舎関係者、ひいては馬主・有力牧場の利害関係で動いている。「上っ面のファクターだけで予想するのは自殺行為」と、我々が力説するのには、そのような背景があるからだ。
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